礼拝説教要旨「『さがさないでください』じゃなくて」(ルカ 2:1-52)

1月4日
降誕節第2主日

ルカによる福音書 2章41-52節(新約P.104)

説教 平良愛香牧師
「『さがさないでください』じゃなくて」

 

事件が起きたのはイエスが12歳の時の出来事。いつものようにエルサレムへのお参りが終わり、今夜の宿泊場所にやってきたヨセフとマリア。しかしイエスがいなくなっていた。両親はイエスを捜しながらエルサレムに引き返した。そして三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを見つけた。マリアが言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して探していたのです。」ところがイエスが言う。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。

読みようによっては腹が立つイエスの言葉について、解説書などを読むと、「聖書は、あなたはイエスを誰と見ているのか、どこに捜しているのかを問いかけている」と語る。確かにそうかもしれない。でもイエスを理解していないマリアは愚かだということなのだろうか。

あらためて今日の箇所を読むと「母はこれらのことをすべて心に納めていた」で閉じられる。実はルカ福音書には似たようなことが何度も出てくる。天使ガブリエルから「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と言われたとき、マリアは戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。羊飼いたちがイエスの誕生を祝いに来て、天使が話してくれたことをみんなに伝えたとき、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。

そして今回、行方知れずになったイエスから「わたしが父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と言われたときマリアはやっぱり「これらのことをすべて心に納めていた」。マリアはすべてを理解していたというわけではないだろう。ただ、天使が言ったこと、羊飼いが言ったこと、そして12歳のイエスが言ったことを心に納めた、ということ。これって、とても大事ではないかと思う。

イエスが言った言葉は、「ここにいることがあなた方には分かっているはずなのだから、探す必要はないじゃないですか。探さないでくださいよ。」というつっけんどんな言葉にも聞こえなくはない。けれどマリアは違うことを感じとったのだと思う。「あなた方が探す前から、私はここにいるよ」。

私たちは、一つひとつの聖書の話を「疑わずに信じる」のではなく、「心に納める」ことが求められているのだと思う。「あなた方が探す前から、私はここにいるよ」と語られる神のメッセージが、24時間365日語り掛けられている。心に納めて今年も歩み始めたい。

 

 

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