礼拝説教要旨「神から遣わされる弁護者」(ヨハネ 15:26-27)

5月5日
復活節第6主日

ヨハネによる福音書 16章25-33節(新約P.201)

説教 平良愛香牧師
「しかし、勇気を出しなさい」

イエスが受難の予告を弟子達にしたとき、弟子達の多くが去っていった。イエスに対して持っていた期待が裏切られたように感じたのだろう。力強く、ローマをやっつけてくれる、そんな指導者を期待していた弟子達にとって、イエスの「これから苦しみを受ける」という予告は聞きたくないことだった。こんな人に従ってきたのか、という落胆があったに違いない。だから多くの弟子が去っていった。

しかしそのときイエスの言葉は驚くべき言葉で締めくくられる。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

ヨハネ福音書において、世というのは、一般社会という意味ではなく、神に背く世界、キリストを受け入れない世界という意味が強い。この「世に勝っている」という言葉だけを見ると、キリスト対世という対立関係にあるように読めてしまうかもしれない。勝ち負けの話をしているように読めてしまうかもしれない。しかし世がキリストに負ける、と言っているのではなく、世が負っている苦難、悲しみ、絶望に対し、イエスが勝利する、ということ。世は敗北するのではなく、いま苦しみに負けている世に対し、イエスがこの世を生かすのだ、という勝利宣言であると感じる。

私たちが自分たちの努力、信念、思想信条だけで世界を変えていこうとすると、すぐに限界にぶち当たる。あまりにも世界の現状は厳しい。自分の信仰は弱い。その中で、イエスの励ましの言葉はとても大きな意味を持ってくる。「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」イエスは、わたしたちが勇気を失ってしまうほどの困難な世界を生きていることを始めから知っていた。

だから語りかける。「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。このイエスの「すでに」という言葉によって、私たちの闘いが不毛なものではないことを知る。いつか、でもなく、もうすぐ、でもない。すでに世に勝っていると宣言するイエスこそが、わたしたちのそばについておられる。このイエス・キリストに勇気を与えられながら、今日もまた新たに生きていきたい。

 

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