礼拝説教要旨「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ 20:19-29)

4月7日
復活節第2主日

ヨハネによる福音書 20章19-29節(新約P.210)

説教 平良愛香牧師
「あなたがたに平和があるように」

 

イエスが処刑された後、イエスの弟子でい続けることはあまりにリスクが大きかった。仮にイエスの弟子でい続けようと思ったとしても、イエスがそれを許してくれるとは思えない。でもだからといって、何事もなかったかのように生きることが果たして私たちにできるのか。鍵をかけた部屋の中ではそんな葛藤が起こっていたのかも知れない。

だからこそ、そこにイエスが入って来る必要があった。「あなたがたに平和があるように。」言葉にならない不安、恐れに対して、イエスはただ「平和があるように、神が共にいてくださる。私が復活して、あなたと共にいる」ということを示してくださった。それはユダヤ人たちを、迫害を恐れる必要はないし、わたしに許してもらえないのではないかと怖がる必要もないし、「悩んでも悩んでも答えがでない」と苦しんでいる中にも、私はそばにいるよ。ということを示して、弟子たちに喜びを与えた。弟子たちには聖霊が与えられ、力づけられた、それがこの物語。

去る金曜日の夜、ミャンマーを覚えるオンラインの祈り会でいたたまれない話を聞いた。国軍が家に押し入り、若い男子青年をつぎつぎ国軍の兵士にし始めた。無理やり引っ張って行かれるのがイヤで自害する青年たちが出てきている。ミャンマーの日本大使館には日本へのビザを取ろうとして長蛇の列ができている。一方日本では、日本語を勉強するために留学してきたミャンマー人の留学期間が終了し、ビザが切れて、日本にいられなくなってきているという。

そんな情報を聞いた直後に「あなた方に平和があるように」という言葉の意味を突き付けられた。イエスと再会した弟子たちは、それは励まされただろう。でも、励まされるだけで、命が脅かされ続けている人たちに、イエスは何を語るのか。イエスに従う私たちは何を語ればいいのか。

「イエス様は私たちに平和を与えてくださいます」ということが、現実と乖離しているように感じる瞬間がある。

ただ、ただその中でも、ミャンマーの人たちが言っていた。「平和の実現を信じて祈っている人たちが日本にこんなにいる。これは私たちにとって大きな励ましです」。現実のあまりの厳しさから、心に鍵をかけてしまった私たちの中に、それでもイエスは「あなた方に平和があるように」と入って来る。泣きながらでもいい。死を越えて部屋に入ってこられた、そのイエスを迎えたいと思う。

 

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