12月21日
アドベント第4主日
クリスマス記念礼拝
ルカによる福音書 1章57-80節(新約P.108)
説教 平良愛香牧師
「ザカリアがしゃべった!」
ザカリアとエリサベトという高齢の夫婦がいた。ザカリアはある日天使から「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子は偉大な人となり、主に先立つ者となる」と宣言され、思わず「あり得ない!私も妻も老人です」と言ってしまう。ザカリアの困惑、恐れ、不信感。天使はザカリアに言う「この喜ばしい知らせを伝えるために私は神から遣わされて来た。このことが実現するまで、あなたは話すことができなくなる。わたしの言葉を信じなかったからである。」
これが天使の言葉を信じなかったバツだったのかどうかは分からないが、沈黙することで考える時間が与えられたのだろうと思う。そしていよいよエリサベトが男の子を産んだ。みんなが喜び、父親の名をとって「その子の名前はザカリアにしましょう」と言った。するとエリサベト「いいえ、名前はヨハネとしなければなりません。」ザカリアも板に書いた「この子の名はヨハネ」するといきなりしゃべれるようになって神を賛美した!その歌がザカリアの賛歌、ザカリアの預言とも言われる歌。聖書に出てくる預言は「予言」ではなく「預言」。神の言葉を預かって、人々に語るということ。そしてその内容は、「いよいよ約束されていた救いが訪れた」というもの。
実はこの歌の中に「訪れ」という言葉が2回出てくる。「主はその民を訪れて解放し」「この憐れみによって、高いところからあけぼのの光が我らを訪れ」。キリスト教って「神がすべてご計画のとおりに動かす」と教えているイメージがあるかもしれないが、実はザカリアが気が付いた神の働きは、遠くからリモコンで私たちを操作しているのではなく、実際に訪れるということだった。「おまえはああしろ、こうしろ」と倫理的・宗教的な電波を送って人間を動かそうとするのではなく、わたしたちを訪れる神にザカリアは気づいた。
主の祈りを祈るときに、「み国に入れてください」ではなく「み国が来ますように」と祈るのは、神の支配がいま地上に実現するのだということ。わたしが救われて天国に入りますようにではなく、この地上のすべての人が、神の憐れみの対象であるということをザカリアがしゃべり始めた。「神が私たちのところに訪れた!神の憐れみすごい!」という歌。そして最後にこう言う「われらの歩みを平和の道に導く。」私たちの歩みは訪れた神と共に歩む平和の道である。