11月30日
降誕前節第4主日
アドベント第1主日
イザヤ書 51章4-11節(旧約P.1146)
説教 平良愛香牧師
「希望のカウントダウン」
4年前の11月25日に辺野古埋め立て工事に対して沖縄県の玉城デニー知事が「不承認」を出した。直後のアドベント第一礼拝の説教は今日と同じ個所だった。そして、「平和の主の到来をいよいよ確認する一つの幕開けのような気がした」と語った。その4年後の今年、11月28日に、辺野古大浦湾埋め立ての本格的な工事が始まったと報道された。防衛局は土砂の投入を始めた。落ち込みと怒り。4年前に語ったことが、音を立てて崩れていくような気さえする。けれど、けれど、だからこそ、アドベントには意味がある。
イザヤは神の強い御腕という言葉を使って神の希望を語る。人々はバビロン捕囚で苦しみながら、輝かしい故郷に帰ることを夢見ていた。しかし、実際に戻ってみると、そこは思い描いてものとは全く違った土地になっていた。大切にしていたものがすべて失われた廃墟になっていた。人々の希望は、厳しい現実に打ち砕かれ、絶望となった。
第二次世界大戦中のナチスの強制収容所では、「クリスマスには解放されるらしい」という根拠のない噂が広がったとのこと。多くの人がその「希望」にすがりついた。しかし結局それがデマだと分かったとき、絶望して生きる力を失う人が後を絶たなかった。根拠のない安易な希望が、かえって人を深く傷つけてしまうことがある。私たちはどこに希望を置くのだろうか。廃墟に戻って来た人々の絶望はどうやったら希望に変わりうるのだろうか。
イザヤ書は、それでも希望を語る。いや、ここから希望が始まると聖書は記す。神は「絶望」を「絶望」のままに放置しておくことはしない。かつて行き場のない人々に海を割って道を作ったように、私たちの目の前の「廃墟」のような、もうどうしようもないとしか思えない現実にも、それでも生きていく道を切り開いてくださる。それが聖書の約束する希望である。
闇が深ければ深いほど、私たちは救いの歴史によって希望を確信する。私たちの希望は、約束されている救いだから。うつむいて目を閉じて歩むのではなく、悲しみの中にあっても目をキリストに向けて、キリストの喜びを生きることができる。そこにこそ、約束された希望を待つアドベントの喜びがある。希望はついえていないだけでなく、いま平和へのカウントダウンが始まることを信じ、喜びたい。