11月23日
降誕前節第5主日
収穫感謝/謝恩日
サムエル記上 16章1-13節(旧約P.453)
説教 平良愛香牧師
「ダビデ」
イスラエルの初代王であるサウルは神よりも自分の力に頼るようになっていった。そこで神は裁きつかさであるサムエルに言う。「次の王を定めるから、あなたがその人に油を注ぎなさい。」やがてサムエルはエッサイという男性に出会う。エッサイは信仰深く、そして何人も息子たちがいた。
そこで順番にエッサイの息子たちが呼ばれるが、エッサイは神の声を耳にする。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」そして、その場にはおらず、羊の番をしていた末息子のダビデと巡り合い、サムエルはダビデに油を注ぐ。サウル王が、人々が求めた「力の王」として軍備増強によって国を守ろうとしたのに対し、ダビデは必ずしも軍隊を使わなかったわけではないが、神への信頼によって、「羊飼いのように人々を守り導く王」となった。
しかし神はダビデを「この男は申し分のない、心の清い存在だ」と選んだのではなかった。ウリヤの妻バト・シェバを手に入れるためにウリヤを暗殺する。のちに激しく後悔する場面も出てくるが、はっきり言ってダメダメ王。では神が「主は心によって見る」と言ったのは、ダビデは弱さを持っているけど、根は清く美しい人間だ、本気で悔い改める心を持っているから私は選んだ、と言っているのだろうか。
「主は心によって見る」という言葉は、主は主自身の心でその人を見る、とも読める。人間とは違う基準を神は持っている。とんでもない誤ちを犯すであろうダビデをも、神は神ご自身の心で良しとした。人間の側の努力や心の清さではなく、ただ神の意志によって選ばれているということ。ダビデは心が清いから選ばれたのではない。神が「この人を選ぶ」と心に決めたから選ばれた。
それは「わたし自身も神に、神の心によって選ばれている」という事実。神は「わたしがわたしの基準であなたを選んだ」と語る。そして「どう生きるように神に求められているのか」ということを問い続ける。たとえどんなに失敗しても、わたしを選んだ神は、「オマエを選んで間違いだった」とは思っていない。「あなたを選んだ」という。「神様、あなたは選ぶ人を間違っています」と言いたいときもあるだろう。しかしダビデを選んだ神が、いま私たち一人ひとりを選んでいる。神さま、どうして私を選んだの?私に何を求めておられるの?教えてください。そう祈り求める者でありたい。