10月12日
聖霊降臨節第19主日
神学校日礼拝
マルコによる福音書 4章35-42節(新約P.68)
説教 西窪幸子神学生
「突風をしずめる」
今日の聖書箇所は大変有名な箇所ですから、もう何回も読んだことがある方も多いのではないでしょうか。イエス様は舟に乗って湖の向こう岸に渡ることにしました。すると突然激しい突風が起こりました。聖書には「舟は波をかぶって水浸しになった」と書かれています。イエスの弟子たちの中には漁師もいたのですから、少々の荒波なら対処できたはずですから、よほどひどい状態だったのでしょう。
私たちは時にこのような普段の航海術が通用しない嵐の海に投げ込まれます。自然災害に遭うこと、病気や怪我、愛する人を失うこと、信頼していた人に裏切られること、老いによって生活に制約ができること、これら以外にもたくさんの人生の嵐の時があります。その時、私たちは自分の努力ではどうにもならない状況に直面します。
聖書では、弟子たちも自分たちの力で乗り越えられない局面に立たされ、苛立ったように、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」とイエスに訴えています。自分たちの力ではどうにもならなくなった時になって初めて舟の艫(とも)にいるイエスに目を止めたのです。
それまで、荒れ狂う波と格闘していた弟子たちの目には、波と揺れる舟と水しか目に入っていなかったのではないでしょうか。しかし、弟子たちはそこからイエスの方へ目を転じました。向きを変えたのです。このイエスに向きを変えることがとても重要ではないでしょうか。
しかし、そこで弟子たちが見たのは眠っているイエスでした。眠っているとはいえ、確かにイエスは舟に一緒に乗ってくださっているのです。イエスが風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言うと、風はやみ、すっかり凪になりました。この静けさの中で弟子たちは本当に恐るべきものを知りました。それは、嵐でなく、嵐を静める主でした。弟子たちは嵐を恐れるものから神を畏れるものへ変えられたのです。
イエスは言います。「なぜ、怖がるのか」「まだ信じないのか」。弟子たちは今までイエスが病気を治し、悪霊を追い出すのをたくさん見てきました。それらの奇跡はその人を神の似姿として造られた時の状態に回復するためのものでした。イエスが一緒にいる時、イエスは常に命を得させるために働いてくださいます。この主に信頼して新しい1週間を共に歩んでいきましょう。