6月29日
聖霊降臨節第四主日
フィリピの信徒への手紙 2章12-18節(新約P.303)
説教 平良愛香牧師
「星のように輝き」
沖縄「慰霊の日」6月23日は、沖縄戦で日本軍陸軍第32軍司令官だった牛島満が自決をした日。けれど戦闘はそれ以降も続いた。8月15日を過ぎても沖縄で戦闘は続いており、久米島では8月15日以降に日本兵によって10名の住民が虐殺されている。6月23日は「戦争が終わった日」ではなく、「本気で平和を祈り願う日」として制定された。わたしたちの命が損なわれ、他者の命を奪ったという歴史。それを忘れたら同じようなことを起こすかもしれない。戦争ができる国に突き進む現在、この日を「平和のために自分ができることは何なのか本気で問う日」として過ごしたいと思った。
フィリピの信徒への手紙はパウロがフィリピの教会の人に励ましを送る手紙であり、ほかの手紙に比べて「喜びの言葉」が多く出てくる。そして15節には「私たちはこの世で星のように輝くのです」と語りかける。
ただ「いつも従順であったように、これからはなおさら従順でいなさい」については「従順でいることが本当にいいことなのか」ということは深く吟味しなければならないだろう。もし「従順」というのが、何にも逆らわず穏やかでいることとするなら、「いつも従順でいなさい」はとても危険な言葉となりかねない。また、「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい」というのも問題。きちんと不平を言わないと、不条理を温存してしまうことになりかねない。さらに「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、星のように輝き、命の言葉をしっかりと保つでしょう」という言葉に対しても「非の打ちどころのない神の子になんてなりたくありません」とすら思ってしまう。
ただ、聖書が、あるいはパウロが本当に言いたかったことは、すべてを我慢し、ニコニコ明るく笑っていなさいという話ではないだろう。「わたしたちの内に神がいて働いている」ということこそが私たちの喜びなのだ、と語る。不平不満を言う人間を見捨てるような神ではない。私たちは決して品行方正ではないけど、誇りと喜びをもつことができる。「神なんていない」「平和なんて幻だ」と闇を感じるときも、私たちは光を見出す。沖縄を始めとし、世界にはびこる「闇」「平和じゃない状態」。その中にも光としておられる神の存在に気づきたい。星のように輝く神を見出し、喜び、自分たちの歩みが無駄ではないことを信じて自ら輝き歩みたいと思う。