6月22日
聖霊降臨節第三主日
使徒言行録 17章22-31節(新約P.248)
説教 平良愛香牧師
「メタノイア」
メタノイア。「悔い改め」と訳されるが、本来のギリシャ語は「視点の転換」という意味。自分たちが見ていたその視点を変えるということ。「罪を犯したから反省する」というだけではなく、今まで見つめていた方向性を問い、転換させること。アテネで「知られざる神に」という祭壇を見たパウロが人々に促したのは、「反省」ではなく「転換」だった。
1941年6月24日、日本基督教団が誕生した。けれど実際に一致できたのは、国策の力によるものだった。政府はプロテスタント教会を監視し、政府に追随するように合同させた。すべての教会は礼拝の最初に皇居遥拝が義務つけられたが、天皇崇拝を拒絶したグループが逮捕されたとき見捨てた。そして、こともあろうに日本基督教団は伊勢神宮に参拝し、あげくの果てに日本中の教会(朝鮮半島や満州の教会にまで)呼びかけて献金を募り、何機も戦闘機を奉納した。戦後は沖縄の教会の存在を忘れた。教団総会に沖縄の教会は名簿から外された。沖縄が日本から切り離される何年も前に。
その後沖縄は沖縄キリスト教団を設立。1969年に沖縄キリスト教団と日本基督教団は合同したが、まるで吸収合併のような形だった。二つの教団が合同した、と言っているにもかかわらず、創立記念日も名称も変えず、あるいは「変えるかどうかの話し合い」すら、納得のいくまで丁寧にできなかった日本基督教団。話し合いが無理やり終わらされた結果、沖縄教区はもう23年も日本基督教団とつながれなくなってしまっている。だから無批判に6月24日を教団創立記念日と呼ぶことはできない。
ではどうして私は、私たちはそこに留まるのか。それは、問題ばかりの教団だけど、やはり神によって集められた教会だから。そして、あの戦争に対して責任があるということを覚え続けなければならないから。いろいろな考えのグループが一緒に教会形成できるのだ、という期待があるから。そこに信仰の共同体としての導きがあると信じるし、川和教会もその一員であるということに、責任と希望を持ちたいと思う。だから今日はあえて日本基督教団信仰告白をみんなで唱和する。それは「教団はすばらしい」という賛美でもないし、「信仰告白によって一致する」というきれい事でもない。こんな教団に私たちは責任がある、ということの確認として信仰告白を告白していくものでありたい。
メタノイア。悔い改め。視点の転換。わたしが信じて見ていた方向性は本当にそれでよかったのか、ということを問い直す作業に他ならない。