4月13日
受難節第6主日
マタイによる福音書 26章47~27章61節(新約P.54)
説教 平良愛香牧師
「テネブラエ」
本日はイースター(復活祭)一週間前の、棕櫚の主日と呼ばれる日曜日です。イエスが軍馬ではなくろばに乗ってエルサレムに入城したとき、人々が棕櫚(しゅろ。新しい訳では「なつめやし」)の枝や葉を手に持ったり道に敷いたりして歓迎したことを覚える日ですが、同時にこの日からイエスの十字架への道が始まる受難週に入ります。
イエスの受難の聖書箇所は受難日の礼拝(イースターの2日前の金曜日。イエスが十字架につけられ息を引き取った日とされる。聖金曜日とも呼ばれる)などで朗読されることが多いのですが、今年は、棕櫚の主日礼拝で朗読することにしました。
今日の礼拝は聖書の言葉が中心になるため、説教は短いものとなります。「処刑され、絶叫して死んでいったイエスを、私たちが救い主キリストだと信じるのはなぜか。それは「成功者イエス」ではなく、わたしたちと共にもがいているイエスをそこに見るからではないか」。
また本日の礼拝は、7本のろうそくを1本ずつ消しながらキリストの受難の聖書箇所を朗読する「テネブラエ」を行います。(ろうそくを1本消すごとに、「共にいてください、主イェスよ。闇のなかの光、主イェスよ」と歌います。)やや長い聖書箇所ですが、イエスの受難について書いてある聖書の言葉をぜひ味わっていただければと思います。
テネブラエとは
テネブラエtenebraeはラテン語で「陰」とか「闇」の意味。受難節主日、受難週の聖木曜日や聖金曜日のために、中世より行われたレント礼拝の一つの形式で、ろうそくを1本ずつ消しながら、キリストの受難の意味を想起する。ろうそくの数は様々。