9月1日
聖霊降臨節第16主日
出エジプト記 34章4-9節(旧約P.151)
説教 平良愛香牧師
「101年前に起きたこと」
モーセが神から与えられた十戒。1~4戒を一言でいえば、「こういうふうに神を愛しなさい」、5~10戒を一言でいえば「こういうふうに人を愛しなさい」と言えるのかもしれない。新約聖書時代のイエスは「互いに愛しなさい」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」といった、肯定文で戒めを語るが、旧約聖書では「〇〇してはならない」という否定文の戒めが多い。十戒も「〇〇してはならない」という言葉が並んでいる。
しかし「してはならない」と訳されているヘブライ語は「ロー」。このローは否定の言葉であり、「はい・いいえ」の「いいえ」の意味でもある。十戒は「ロー殺すこと」「ロー盗むこと」という書き方をしている。これは「殺してはならない」「盗んではならない」とも訳せるが、むしろ「あなたは殺さない」「あなたは盗まない」と訳したほうが、真意が伝わる。
禁止ではなく否定。それはあたかも、「あなたに殺しはできない」「あなたに盗みはできない」という気づきを与えている教えのようでもある。律法だから殺してはならないのではなく、私たちは神によって造られ、愛され、生かされているからこそ、殺せるはずがないではないか、隣人の尊厳を侵すことなどできるわけがないではないか、それに気づきなさい、十戒はそう教えているように思う。
今から101年前の9月1日、関東大震災で10万5000人ともいわれる膨大な死者が出た。だけど私たちは加害者にもなった。多くの朝鮮人、中国人、またスパイ容疑をかけられた地方出身の日本人や言葉が不自由な障碍者、また反社会的だとレッテルを貼られていた人たちが大量に殺された。特に、朝鮮人たちはデマを信じた人々によって殺されていった。横浜近郊でもおびただしい数の朝鮮人が殺された。横浜に立つ教会として他人事ではないと感じる。100年前の虐殺に対する日本の教会も虐殺に対する罪と悔い改めを呼びかける言葉は広がらなかった。
私たちは「殺してはならない」「殺すことができようか」という十戒に、真向から逆らってしまった。「神を愛せよ」「人を愛せよ」という教えだったにも関わらず、「殺してしまった」「そのことを封印してしまっていた」という事実。深く懺悔をせざるを得ない。そして、「神様、私たちが殺さない生き方を選べますように。隣人を愛し、自分を愛し、あなたを愛する生き方を選ぶことができますように」と心から祈る者でありたい。