礼拝説教要旨「タビタ、起きなさい」(使徒 9:36-43)

7月7日
聖霊降臨節第8主日

使徒言行録 9章36-43節(新約P.231)

説教 平良愛香牧師
「タビタ、起きなさい」

 

ヤッファに住むタビタと呼ばれる女性がいきなり「死んだ」という形で使徒言行録に登場する。人々に慕われていたタビタ。縫いものが上手で、いろいろなものを縫ったり繕ったりしては、困っている人々に施していた。タビタが亡くなってしまって悲しくてしょうがない人びとがペトロを迎えに行く。ペトロは人々を部屋から外に出してタビタのなきがらにこう呼びかける「タビタ、起きなさい」そうしたらタビタが生き返った。

ペトロはどうしてタビタに「起きなさい」と呼びかけたのだろうか。ある牧師がこう話してくれた。「タビタが死んだとき、タビタが作ったものをみんながペトロに見せた。これはタビタが生きていた証しを一所懸命知ってもらおうとしたということではないか。みんなはタビタが死んだということではなく、タビタが生きていたということを本当はペトロに言いたかったのではないか」と。

そうかもしれない。「タビタは生きていた」という事実よりも「タビタは死んだ」ということのほうが大きくなってしまっている人々であるにもかかわらず、無意識のうちにタビタが生きていた証しを紹介していた人びと。それに気づいたペトロは、タビタが死んだという悲しみの中でどちらを向いたらいいのか分からなくなってしまっている人びとに、「死んだ」ということではなく「生きていた」ということもう一度気づかせるために、生きているタビタをもう一度登場させたのではないだろうか。

横浜市寿地区に小さなお地蔵さんが立てられた。路上生活者や生活困窮者のために、近くの寺院の僧侶が立てたとのこと。案内してくれた方が言っていた。「ここにお地蔵さんが立ってから、この町に住む人たちがみんな穏やかになったんだよ。自分が死んだらここで覚えてもらえるという気持ちになったんだ」。

誰にも越えられない、死という断絶。そして現実にある様々な断絶。しかし「人間が最も断絶を感じるとき、そうじゃないよ。それを超えさせてくれる神がいるんだよ」という物語として読みたい。簡単に乗り越えられない断絶を実感しつつも、いや、実感するからこそ、私たちは信仰を求められる。人間にとっても最も乗り越えられない断絶を、キリストは乗り越えてこられたじゃないか、と。聖書が指し示す希望を私たちも信じていきたい。

 

 

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