礼拝説教要旨「心で信じて口に出す」(ローマ 10:10-17)

6月2日
聖霊降臨節第3主日

ローマの信徒への手紙 10章10-17節(新約P.288)

説教 平良愛香牧師
「心で信じて口に出す」

 

ローマの教会でユダヤ人キリスト者とそれ以外のキリスト者たちとの間に、律法を守ることの必要性について意見が対立していた。

そこにパウロが書いたのがこのローマの信徒への手紙と言われる。パウロは慎重に、両方とも尊重しつつ、それでも結論として「律法による義ではなく、信仰による義です」と伝えた。しかしそれはユダヤ人キリスト者たちが負けたということではない。勝ち負けではなく、すべての人が信仰によって縛りから解放されるということを語る。救いとは試験に合格したら与えられるものではない。ただ信仰によって義とされ、救われるのだ、と。

ただこんなことも考えてしまう。「信仰による義」を強調しすぎたら、今度は「信仰」が救われるための試験になってしまってはいないだろうか、と。そもそも、「救い」って信仰の試験に受かった人に与えられるものなのだろうか?

9節「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。」10節「人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」9節と10節は心と口の順番が逆。どちらが先なのか。いろいろな解釈ができるだろうが、こう読めてくる。「どっちが先とかではない。心で信じることと、口に言い表す、あるいは行動に出るということは、密接につながり合っているのだ。優先順位ではなく、この両方の働きが組み合わされるときに救いが実現するのだ」と。そして救いとは、どんなことをした人が救われる、ということではなく、それを求めているところに実現するということではないだろうか。

14、15節は分かりにくいが、こうも読める。「遣わす方がいて、私たちが宣べ伝えることで、人々は聞くことができて、信じることができて、求めることができて、救われる」。もはやパウロが言っているのは、わたしたちが救われるためにはどうするかではなく、人々に救いを実現させるために、言葉にして宣べ伝えなさい、ということだった。さらに言えば、心で信じるということと口に出すということがセットであるように、自分の救いの実現と、それを言葉や行動に示すことで他者の救いが実現するということは、やはりセットであるということ。ともすると縦社会になったり分断を生んだりする私たちの世界の中で、ただ求める者すべてを救うために私を遣わそうとする方がおられる。そのことを信じ、語る者でありたいと思う。

 

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