礼拝説教要旨「あっけにとられてしまった」(使徒 2:1-4、5-21)

5月19日
聖霊降臨日・ペンテコステ礼拝

使徒言行録 2章1-4節(各国語)、5-21節(新約P.214

説教 平良愛香牧師
「あっけにとられてしまった」

 

ペンテコステの日、弟子たちは聖霊に満たされてあらゆる国の言葉で福音を力強く語り出した。それは、知らなかった外国語を語り出したという奇跡だったのかもしれないが、もしかしたらユダヤ社会の中で臆して語ることができなかった自分のルーツの言葉で臆さずに福音を語り出したのかもしれない。女性たち、病人や体が不自由な者、子ども、老人、性的少数者、その他さまざまな「声を上げられなかった人たち」が自分の言葉で神の恵みを語り出したのかもしれない。「私は不要な存在ではない」「神に祝福されてここに生きている」そういうことを語り出したのかもしれない。降ってきた「聖霊」を「舌のような炎」ではなく「炎のような舌」と記録したのは、いよいよ勇気をもって語り出したということを強調しているように思う。

聖霊を受けた人々が自分たちの言葉を語り出した時、その言葉を「理解し、驚いた」人たちもいた。そこには「その解放の言葉を待っていた」という人もいたに違いない。私たちは言葉が通じない、心が通じない、断絶している、だから我慢して黙っていましょう、そう感じていた世界に、「炎のような舌」が語ることを教えてくれた。断絶だと思っていた世界が、いまつながり始める。それが教会の始まりだった。人々が大胆に語りだしたときあっけにとられてしまった人たちがいたという。この驚きこそ、神がもたらす奇跡である。

昨年はロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの言葉が通じなくなっている痛みを語った。思いが断絶している。今こそ聖霊を呼び求めたい、と。今年はまた新たな問いを受けた。使徒言行録6章にはヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間に早くも軋轢が生じていることが記されている。もしかしたらわざとではなかったかもしれないが、教会内ですら言葉や思いが通じないことでギリシャ語を話すユダヤ人のやもめたちが不利益を被っていた。私たちの社会や教会の中で、悪気がなくても思いが通じず、阻害されている人たちがいるのかもしれない。聖霊降臨は、その阻害、断絶を乗り越える出発点だった。

ペンテコステは聖霊降臨を祝う日であると同時に、それでも今、痛みを伴う断絶、抑圧がある、そのことを改めて覚える日でありたい。痛みの中で聖霊を求めたいと思う。あっけにとられることが今起ころうとしている。そのことを信じたい。

 

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