礼拝説教要旨 「わたしをひとりにしてはおかれない」(ヨハネ 8:21-30)

1月28日
降誕節第5主日

ヨハネによる福音書 8章21-30節(新約P.181)

説教 平良愛香牧師
「わたしをひとりにしてはおかれない」

 

イエスは、わたしを受け入れない者、わたしを拒否する者は、すなわち神をも拒否しているのだ、と語る。

キリスト教が始まったとき、多くのユダヤ人たちが、ユダヤ教の一派としてのキリスト教に入って来た。ところが紀元90年代にユダヤ教のヤムニア会議で、キリスト教は異端であるということが決定された。イエスをキリストであると告白する者がいれば公式にユダヤ教の会堂から追放することが決められた。ローマ帝国の公認宗教だったユダヤ教から異端とされたキリスト教は、非合法宗教として迫害の対象となった。一旦イエスをキリストであると告白した人たちの多くがユダヤ教に戻った。そのころ書かれたヨハネ福音書だからこそ、イエスこそキリストである、それを認めない者は神を拒絶していることだよ、ということがとても大きなテーマになる。では21世紀を生きる私たちはここをどう読めばいいのか。

ヨハネ福音書は栄光に輝くイエスが描かれているとも言える。けれどイエスの孤独感も相当のものだったのではないか。イエスは自分が何者であるか話してきた。しかしそれが届かない。ヨハネ福音書では、イエス自身が活動の初期段階から自分が見捨てられ殺されることを弟子たちに打ち明けている。でも弟子たちは理解していたとは言えない。イエスの「わたしの行くところにあなたたちは来ることが出来ない」というのは、実はとても複雑な思いだったのかもしれない。

けれどここでイエスが更に表明するのは、「わたしは孤独ではない」ということだった。

「わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」

神がわたしと共にいてくださる、というイエスの言葉、わたしは孤独ではない、という言葉。これこそ、私たちに語りかけられている言葉である。私たちも絶望感にたたずみ、もう立ち上がれない、と感じてしまうことがある。病いや人間関係に疲れきってしまったり、あるいは「自分はもう生きていることすら許されない」と感じてしまったりする。自然災害で苦しんでいる人たちのことを祈り、戦争で苦しむ地域を覚えて献金しながらも、「わたしに出来る事には限界がありすぎる」と無力感に苛まれることもある。そんなとき、困難を目前にして言ったイエスの言葉が気づかせてくれる。

「わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」わたしをひとりいしてはおかれない神が共にいる。

 

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