礼拝説教要旨「アヴェ・マリアってなあに?」(ルカ 1:26-42)

12月18日
降誕前第1主日・待降節第4主日

イザヤ書 11章1-10節(旧約P.1078)
ルカによる福音書 1章26-42節(新約P.100)

讃美歌21 242・283・246・244

説教 平良愛香牧師

「アヴェ・マリアってなあに?」

 

「アヴェ・マリア」という祈りがある。カトリック教会でのマリアに祈るための祈りの言葉で、聖母マリアに祈るとマリアがイエスにとりなしてくれるという信心から生み出された祈りの文章。「アヴェ・マリア」とは、ラテン語で「こんにちは、マリア」「おめでとうマリア」を意味する。

ルカ1:28天使ガブリエルの挨拶の冒頭「おめでとう、めぐまれた方。主があなたと共におられる」と、1:42エリサベトがマリアに告げる言葉「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」の二つに加えて、中世の修道士が「神の母マリア、私たちのためにお祈りください」と付加したもの。けれどマリア自身が受胎告知をすんなり受け入れたはずはない。物凄い葛藤の上、それでも「お言葉通り、この身になりますように」と答える。

それは「受け入れがたいことを受け入れた」というだけの言葉ではない。天使が言った「主があなたと共におられる」という言葉を信じた、ということにほかならない。のちのキリスト教が解釈して伝えている通りマリアが性的な経験のないまま聖霊によって身ごもったのだとしても、葛藤も恐れも無かったということは絶対ない。また女性神学者が指摘するように、天使ガブリエルの宣言は「あなたは既に妊娠してますよ」ではなく「男の子を産みますよ」ということであり、身ごもるのはそのあとだった可能性もある。当時ユダヤを治めていた軍隊の暴力によって不本意な形で身ごもってしまった可能性もある。

しかしそれを神は決して見捨てない、というメッセージとして読むこともできるかもしれない。いずれにしても、マリアの不安と苦しみは生涯付きまとっただろう。けれどマリアは「主が共におられる」ということを信じた。だからこそ「お言葉どおり、この身に成りますように」と答えることができた。

宗教とは、神の存在を信じることではない。神がいても、自分に関係なければ、それは宗教ではない。私たちの信仰は、神が私たちと共にいて、関わって下さっている、ということ。マリアは、不安がなくなったのではないだろう。受け入れる力と、神がそれをなさるなら、道も与えられるという確信・希望を得た。

クリスマスというのは、神が共におられる、ということを確認し、確信すること。信じていても悲しみは相変わらずある。しかしその中にあってさえ、「神が共にいてくださる。たとえどんな状況にあっても、神は私たちを見捨ててはいない」という大きな希望がそこにはある。

 

お知らせ(2023年1月22日週報より)

*クリスマス献金を受け付けています。月定献金袋、または礼拝堂受付のクリスマス用献金袋をご利用ください。〆切は1月末です。

*今月の教区の集会のご案内