礼拝説教要旨「老いの坂を登るときも」(コヘレト12:3-8、第一ペトロ1:23-25)

2022年1月16日
降誕節第4主日

コヘレトの言葉 12章3-8節(旧約P.1048)
ペトロの手紙一 1章23-25節(新約P.429)

説教 禿準一牧師

「老いの坂を登るときも」

 

ユングは、人間の一生の中心を正午とし、午前と午後に分けました。「午前の年代は、人の価値を外に求めるが、午後は内面に光があたる」といっているそうです。午後を生きる私としてはこの人の言葉に励ましと促しを受ける者です。

コヘレト12章5節から7節において、コヘレトは随分正直に死を持ち出します。「人は永遠の家へ去り」「泣き手は町をめぐる」。家族の悲しみの声が街の道にまで聞こえてくる様子を想像します。私達にとって誕生は嬉しいことです。その対極にもっとも辛い死があります。そしてそこに至るまでに老いの日々があるのです。コヘレトの言葉は、時代を超えて「私のこと」「あなたの事」ではないでしょうか。

コヘレトは、12章1節で人生の午後の老いの日々を「苦しみの日々」と言い「年を重ねることは、喜びがない」と語ります。今日の聖書の結論である8節には、「なんと空しいことか、すべて空しい」とダメオシして結びます。

ところでこの「空しい」の解釈、理解です。コヘレトは今私たちが使う、心の虚無とか空虚、鬱的な気分の空しさをいっているのではありません。

「空」は、旧約聖書のヘブライ語では「ヘベル」と言うそうですが、「息」を表します。吸い吐く息のことで、目にみえません。そして瞬くまに消え去ります。人生の後半、午後を生きるのは、息をつかむようなように難しいと考え、感嘆の心情を表すのです。

コヘレトは、人間の生涯の現実の鋭い洞察をした後、空しさを突き破る確かな「創造者なる神」への信頼を特に若者に促します。「これこそ、午前の人も午後の人」も最も大切にすべき事柄なのです。特に老いた者の「苦しみ」「不幸」「悪しき」「災い」の時こそまさに私たちの信仰の課題、神と向き合う課題で一杯です。この時期こそ内面の光を輝かすチャンス、The Time 、カイロス(神のとき)なのです。

「あなた達は、生まれた時から(私に)負われ、母の胎をでた時から(私に)担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで(私が)背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:3b—4)に励まされない人がいるでしょうか。実は原文には神の(私)の強調が入っていることに特には励まされます。(私の)今まで人生の午前を支えてくださった神に(私の)厳しい人生の午後の日々も、担われ、背負われ、救いだされるのです。  根本的な励ましを受けます。