礼拝説教要旨「マリア激怒?」(ゼカリヤ8:1-8、ルカ2:41-52)

2022年1月2日
降誕節第2主日

聖書

ゼカリヤ書 8章1-8節(旧約P.1486)
ルカによる福音書 2章41-52節(新約P.104)

説教 平良愛香牧師

「マリア激怒?」

 

ヨセフとマリアとイエスは、毎年過ぎ越しの祭りのときにエルサレムに都上りをしていた。実は当時は家族だけでの長距離移動も危険だったので、宮もうでなどのときなどには、たくさんの人と一緒に旅をした。

事件が起きたのは、イエス12歳のときの都上り。いつものようにお参りが終わり、一日歩いて夜になったので、今夜の宿泊場所にやってきたヨセフとマリア。イエスが見当たらず、親類や知人の間を捜し回っても見つからなかった。そこで両親は焦って「捜しながらエルサレムに引き返した」。

イエスが危険な目に遭っているかもしれない。焦りと不安とストレスの旅。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしているのを見つけた。大抵の親なら激怒するでしょう。「イエス!何でこんなところにいるの!この大バカ者!本当に心配させて!!」マリアもそう言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して探していたのです。」

ところがイエスの答えがまた腹が立つ。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」。この言葉でイエスは、そして聖書は何を伝えようとしたのか。「あなたはイエスを誰と見ているのか、どこに捜しているのかを問いかけている」という解説もある。けれどそれだけではない。この話のもう一つのポイントは、そこが神殿だった、ということ。神殿は「神を礼拝する場所」と同時に、バビロン捕囚から解放された民たちが、がれきとなった広場を見て失望する中、ゼカリヤの預言を信じて再建し始めた場所。神が私たちと共にいる。それを確認し、実感するための場所が神殿。希望が生まれ、光が生まれ、神の国が立ち上がるというその象徴の場所であった。

イエスが神殿で教えていた、というのは、神の国がいま始まるよ、というスタートでもあった。そこにはイエスの宣言を理解できた人はもしかしたら一人もいなかったかもしれない。けれど、深い闇の中にいる私たちのこの場所が、いま神の国として輝き始めるのだ。イエスが神殿にいて、「わたしが父の家にいるということを知らなかったのですか?」というとき、「怖がらなくてもいい。闇やがれきの中にあっても、やがて神の国が実現するということを思い出せ」と言っている気がする。