礼拝説教要旨「祈りが聞かれた400年後」(創世記15:1-21、ヤコブ2:13-23)

2021年11月7日
降誕前7主日/永眠者記念礼拝

創世記 15章1-18節a(旧約)
ヤコブの手紙 2章14-23節(新約)

説教 平良愛香牧師
「祈りが聞かれた400年後」

 

アブラハムはある日神に選ばれ「土地と子孫を与える」という約束を頂く。当時の人々にとって、土地と子孫というのは最も価値のある祝福の印だった。アブラハム大喜び。しかし実際には、なかなか子どもが与えられず、アブラハムは神に文句を言う。「あの約束はどうなったのか」と。そこで神は、アブラハムに語り掛け、天の星を見せることで思いを伝えた。アブラハムの中に信仰が呼び起こされ、「義」と認められた。

当時の人々は、よく分からない神の機嫌を損ねないようにして生きていた部分がある。新約聖書にも「まだ知られぬ神を拝むための祭壇」が出てくる。しかしアブラハムの神は、呼びかけに対して自ら名乗り、意志を知らせる神だった。アブラハムの信仰というのは、神に逆らわないことではなく、対決しながら、食って掛かりながら、泣きながら、起こりながら、それでも、「神さま本当にそれでいいのですね。もし私の勘違いなら、一刻も早く気づかせてください」と、それに突き進んでいく姿だったのではないか。

神が約束してくれたから、私はそこを信じて生きる。これは、現在の私たちの姿でもある。「あなたが示した生き方を進みます。だから道を示してください。間違ったら軌道を修正してください」そう言いながら、私を決して見捨てないと宣言した神の思いを確認する。

更にキリスト教では、たとえ人間の側がどんなにダメダメだったとしても、大丈夫、イエスが代表して契約を受けている、という信仰がある。だからこそ私たちは「神との契約に応えられない」ということを怖がらなくてもいい。とりなしをしてくださるイエスがいるのだから。

アブラハムが受けた約束が成就するのは、実は400年後のことだった。それも神の計画だった。苦難の中にあっても、神の約束は決して反故にはされていない、そのことを人々は信じ続けた。決して楽な400年ではなかった。でも神が私たちを忘れないという希望が、人々を生かし続けた。400年は長い。けれど、必ず実現すると信じた人たちにとって、それは希望の400年だったに違いない。

神の約束は必ず実現する。それは私たちにとって、希望であり、喜びであり、力である。