礼拝説教要旨「7×70」(ヤコブ 2:8-13、マタイ 18:21-35)

2021年9月12日
聖霊降臨節第17主日

ヤコブの手紙 2章8-13節(新約)
マタイによる福音書 18章21-35節(新約)

説教 平良愛香牧師
「7×70」

 

ペトロは「神様は人間を無条件に愛し、赦しを与えようとしておられる」と気づいたからこそ、7という絶対を表す数を持ち出して「7回まで赦すべきでしょうか」と尋ねたのだろう。それに対しイエスは、「7の70倍赦しなさい」と答える。自分の寛容さをほめてもらおうとしていることをイエスが見抜いて「違う、もっとだ!」と言ったのかもしれない。でももしかしたら「その通り、7回でも7の70倍でも赦しなさい。それが神の憐れみを受けた者に求められていることです」とペトロをほめていたのかもしれないとも思う。

ヤコブの手紙では、赦しとか憐れみとかを語っている教会において、自分たちの基準で他者を裁いたり、相手によって態度を変えたりすることについて厳しく語っている。あえて「罪」と言うなら、「相手によって態度を変える」という部分も大きな罪なのだろうと思う。同じように接しているつもりでも、一部の人に苦しみや我慢を押しつけてしまう。

震災の中で一番「我慢を強いられた」のは、外国人、障がい者、セクシャルマイノリティ、女性や子どもや老人たちだった。普段から弱者だったり隅に追いやられたりしていた人たちは、いざというとき、他の人たち以上に、我慢を強いられる経験をする。でもうれしい話も聞いた。トランスジェンダー女性や日本人と結婚している外国人女性が、コミュニティの中で大切な一員だと気づいてもらえた。痛みを共有する中で、一緒に生きる道を発見するということもあるのだ、と。

イエスは「弱い人にやさしくしなさい」ではなく、共に生きていることに気づけと言っている気がする。「あなたは神から命を受け、赦しを受け、生きている。もし今、命が脅かされている人が目の前にいるなら、なぜあなたはそれを見過ごしにするのか」という厳しい問いかけでもある。こんなに神様から愛され、赦されているのに、あなたは何をしているのか、と。そこに生きようとする人のために、私たちが力を尽くすということはそう簡単なことではないかもしれない。イエスはペトロに「そう簡単ではない。大変な覚悟がいる。けれどその覚悟を、神は求めておられる」ということを伝えようとしたのかもしれないなあ。と思う。

7の70倍赦しなさい。それは、あなたを必要としている人に、あなたは7回ではなく、7の70倍、力を尽くさねばならない、ということだったのだと思う。イエスが7の70倍という言葉を出したとき、その大前提は「神は私たちが生きていくために7の700倍、7000倍、7万倍の憐れみをかけている」ということだったのだから。