礼拝説教要旨「恐れながらも大いに喜び、」(マタイ 28:1-10)

 

2021年4月4日

復活日・イースター

マタイによる福音書 マタイ28章1-10節(新約)

説教 平良愛香牧師
「恐れながらも大いに喜び、」

 

イースターおめでとうございます。でも何がおめでとうなのだろうか。

イエスが復活したことを祝うイースター。私たちのキリスト(救い主)であることが明らかになったからおめでとうなのだろうか。それもある。でももっと確かなのは、神の前で存在できないほど小さな弱い存在である私たちが、それでも、復活させられたイエスと共に生きるようにされるためだった。

レント(受難節)の間、自分を見つめていると、やっぱり自分のダメさに打ちひしがれることが多かった。数え上げればキリがない。神の求める生き方なんてできない。自分も十分に愛せないし、当然自分を愛するように隣人なんて愛せない。世の中おかしい、と不満は出てきても、それを変えようとはしなかった。褒められることもあったかもしれないけど、自分によって傷ついた人もいたかもしれない。そんなことを考えると、イエスの復活を心から喜んでいいのだろうか、その資格が私にあるのだろうか、と一瞬揺らいでしまう。

復活のイエスと再会したマグダラのマリアは「恐れ」た。死んだ人が出て来たからではない。自分の小ささ至らなさは、死に勝利したキリストを前にしたときに「恐れ」にしかならない。けれどマリアは恐れながらも「大いに喜び、」その喜びを伝えに走り出す。これが「イースターおめでとう」。

自分の力ではどうにもならない「そのような弱い私たちのためにイエスが復活なさったのだ」という事実が、私たちの恐れを乗り越えて喜びをもたらす。そこから沸き起こる希望のみが、私たちに安心と勇気をあたえてくれる。復活されたイエスは、すでに私たちの先を歩いている。だから私たちはついていけばいい。新しい命、新しい心を与えられた私たちは、よろめくことなく、まっすぐ神の方を向いて歩きだすことができる。イースターおめでとう!