礼拝説教要旨「美しい自然と生きるよろこび」(詩編104:1-24)

 

2020年11月15日

降誕前節第6主日

説教 吉野結伝道師

「美しい自然と生きるよろこび」

詩編104編1-24節(旧約)

 

今朝は、詩編の聖書テキストから、神が私たちに与えて下さった、という聖書の使信を考えてみたいと思います。

150篇の詩編全体から受ける印象はこれらの詩が深い嘆きの祈り(告白)を集めた唄となっているという事です。

これら神に向かう《告白》は絶望ではありません。神を呼び求めて、讃美と感謝の言葉を紡いでいったのです。ひと言でいうならば、これが詩編にほかなりません。

イスラエルにとって、キリスト者にとって、生の全体、そのもっとも些細な部分もすべてを、神の前に出し賛美する。喜びの時も苦難の時もヤハウェ(主)と共に、キリストと共に歩みを続けることが讃美であり、それを表現し続けた姿が「詩編」そのものであったということです。

神は人間に美しい自然を準備してくださいました。春夏秋冬、季節ごとにそれぞれにコントラストがあります。きれいな花が咲き、新緑が萌え、鳥たちがうたい、風が吹き、水が豊かに流れる。それらの命の動きのための準備期間も大切な自然の営みとして私たちの目を和ませ、季節の移り変わりを知らせてくれます。

このような自然の営みがなかったとしたら、私たちの生活はどんなに無味乾燥なものになっていたでしょうか。けれども、忙しない日常の中で私たちはこのすばらしい自然に、目を止めることなく過ごしていることが多くないでしょうか。「与えられている」ということに喜びと感謝をささげたいと思います。

けれど、自然は穏やかな時ばかりではありません。時として大きな脅威を、猛威を振るい私たちを苦しめることがあります。そんなとき私は人間の無力さに目を向ける必要があることを痛感するわけです。自然の秩序を守ることがいかに大切かという事を深く考えさせられる時でもあります。

104篇の詩人は、非常に優れた自然観察者でありました。陽が昇り、夜行性の動物たちが眠りにつき、入れ替わるかのように人間が労働に勤めはじめます(22~23節)。人間の営みも自然の秩序に沿わなければなりません。この詩の詠い手は、この自然の営みに神の「知恵」を敏感に感じ取り、驚きをもってその想いをヤハウェ(主)に告白しています。それが24節の「あなたのみ業は、なんと豊か(=おびただしい)でしょう」。この感性・感覚は、104篇全体の行間を貫いています。そうした驚きと讃美と神の創造の深淵さが104篇全編に脈打っています。

いうまでもなくこの詩人の自然に対する豊かな知識と神への信仰は、別々の二元論的なものではありませんでした。1節の冒頭と最後の35節で「わが魂よ、ヤハウェ(主)をほめよ」という言葉によってそのことが理解できます。この詩人の知識は、深い神への信頼に裏打ちされていて、それによりこの詩を読む私たちを、生きていることへの喜びと感謝に導いてくれます。