礼拝説教要旨「バラバラだけど一つ」(ヘブライ9:23-28、マルコ14:22-25)

 

2020年10月3日

聖霊降臨節第19主日

説教 平良愛香牧師

「バラバラだけど一つ」

ヘブライ人への手紙 9章23-28節(新約)
マルコの福音書 14章22-25節(新約)

 

イエスは一人一人をとても大切にしたことに気づく。ユダヤの共同体の中でよろしくないとされた異邦人や徴税人、罪人(ざいにん)や娼婦たちと向き合ったのがイエスだった。ある意味、共同体の秩序を保つために排除されていた人たちがいた。自分でも「私は異質な存在だ」と思い込まされ、あきらめている人たちがいた。そういった人たちをも大切に考え、神に愛されている大切な存在であることを訴え続けたのがイエスの宣教だった。だからイエスは、ある人達には歓迎され、またある人達からは共同体を揺さぶる、秩序を壊す存在として疎まれていった。

けれど、イエスは一人一人を大切にしつつ、秩序を無視しろ、と言っているわけではない。個人主義を貫いて、社会を否定したわけでもない。一人ではなく、共にそこにいる、という経験を大切にしたのもイエスだった。そこに集められた人たちは共にパンとぶどう酒を分かつことで、イエスによって一つとされるという経験を共有した。それは、「あなたがた、みんな同じ格好、思想になりなさい」ということではなく、「あなたがた一人一人は全く違うけど、わたしとつながることで一つになれるんだよ」ということを伝えたことなのではないだろうか。

10月第1日曜日は世界聖餐日。世界聖餐日は1946年にWCC(世界教会協議会)の前身である世界キリスト教連合会の呼びかけによって始められた。第二次世界大戦後、世界中の教会が聖餐を通してキリストにある交わりを確かめ、全教会の一致を求めて制定された。多くの人々や教会も戦争によって敵対し、血を流し合った反省に立って、聖餐を通してすべての教会は一つであることを確認していこう、という日。「教会仲間が世界中にいて嬉しいね」というだけでなく、もう二度とそのような争いが起きないことを決意する日でもある。それは世界中の教会が「同じものになる」ということではなく、違いはあるけど敵対するのではなく、共に生きている教会であることを確認するのが世界聖餐日。

どうして聖餐なのか。聖餐が特別に聖なるものということで、教会を一致させる力があるのかもしれない。けれど同時に、イエスの「これは多くの人のために流される私の血」という一言は、これ以上、血を流す必要がないように、という言葉にも聞こえて来る。イエスの教えてくれた「一つとなること」、それは同じになることではなく、また、過去にあった対立や抑圧をなかったことにすることでもなく、わたしたちはバラバラであることをしっかり受け止めつつ、イエスが血を流したことで、人間の限界を越えて一つとされているのだということを確信していくことなのだと感じる。

バラバラを受け止め、その中でイエスによって一つとされて生かされていることを喜ぶ者でありたい。